ちょいちょい忘れるので毎日ではないのですけれども、新型コロナウイルスが話題になってから、定期的に体温を測るようにしています。予測式なのでどのくらい正確なのか分かりませんが、起床後の体温はだいたい36.5度前後です。画面に顔を近づけて検温する機器がありますが、36度未満になることもあります。正確な体温を測るというよりも、発熱しているかどうかを大まかに判断しているのかなと思いました。
最後に風邪らしい風邪を引いたのは、おととし(2019)の9月で、39度近くまで熱があがりました。すぐに熱は下がりましたが、その後1週間近く咳(せき)と痰(たん)が続きました。このとき興味深かったのは、体温が上がるにつれて脈拍数も増えていき、体調がよくなるにつれて減っていったことでした。いちばん多かった時で90回/分以上になったと思います(普段は60回未満です)。
オーバートレーニングの予防の一つに、起床時の脈拍数を測る方法があるそうです。普段よりも10回以上多い時は、疲労がたまっているサインとして、その日の練習を休むなど対処するそうです。脈拍の測定は手軽にできるので、体温を測るのと一緒に続けています。▲
今の時期、家の中に入れておいたスミレが紫色のかわいらしい花を咲かせています。少し前までは近所の道ばたに咲いていましたが、新しく家ができたり、道を舗装しなおしたりなどして、見かけることが少なくなりました。かわいらしいスミレの花が好きなので、今年は他の品種も育ててみたいなと思います。
もう一つ、去年あまり手をつけられなかった睡蓮(すいれん)鉢も、作り直そうかなと考えています。ミニ睡蓮はもう何年か育てていますが、咲いたのは最初の年だけでした。今年はぜひとも咲かせたいです。ほかに睡蓮鉢にはミナミヌマエビがいますが、暖かくなったらボウフラ対策にもなるメダカやアカヒレを飼いたいと思っています。
もうすぐ3月ですね。植物を見ていると、春がもう来ているのを感じます。▲
運動は適度におこなえば体調も気持ちも引き上げてくれますが、無理して頑張ると、体調が悪くなるし気持ちも落ち込んでしまいます。水泳で心がけているのは、ゆっくり長く泳ぐことと、4泳法でバランス良く泳ぐことです。
2ヶ月過ぎてしまいましたが、今年の目標はバタフライで楽に長く泳げるようになることです。個人的にバタフライは泳ぐ楽しさをいちばん感じる泳法だと思いますが、短い距離でも息が上がってしまいます。長い距離を楽しく泳げるように、練習を続けていきたいと思います。▲
以前ほどではないですけれども、新しい製品がでると面白そうだな、欲しいなと思います。最近ですとIdeaPad DuetというChromebookに興味を引かれました。キーボードを付ければノートパソコンのように使え、キーボードを外せばタブレットのようにも使える2in1タイプの機種です。完全ではないですけれどもAndroidのアプリが使えたり、またLinuxをセットアップしたりすることもできるそうです。
半分買うつもりで値段とか調べていましたが、活用している自分の姿が想像できないので思い直しました。あったら便利そうというアヤフヤな理由で購入したモバイルディスプレイやiPadは、あまり活用できていません。それぞれの製品自体は素晴らしいですけれども、活用できない自分にとっては猫に小判ですね。▲
ずいぶん長い間、STAXという会社のイヤースピーカー(ヘッドホン)を使い続けています。最初聴いたときの印象は、確かにきれいだけれども低音が控えめで、なんだか痩せたような音だなというものでした。でも中音から高音へかけての透き通った音色に魅力を感じて、低音に不満を感じつつも使い続けていました。
ある日、以前使っていたヘッドホンを久しぶりに使ってみたところ、故障したのかと思うほどなんだか曇ったような音で、豊かに感じていた低音もボワボワに聞こえました。住めば都と言いますけれども、慣れればどんな環境(機器)でもよく感じられて愛着を持つものかもしれません。
第一印象が大事と言われますが、長く接していくうちにその良さが分かるものも多いです。ハイドンのオラトリオ《天地創造》を最初聴いたときは、退屈な曲だな、買って失敗したかなとさえ思いました。でも今では、無人島に持って行くならこのCDと思えるほど大好きな曲です。オーディオで言うエージングも、機器の慣らし運転の他に、良さを理解するために必要な時間という意味もあるのかなと思います。▲
そろそろ花粉症の症状が出始めてきました。いつもならくしゃみ・鼻水の症状が出てもほとんど気にもとめませんが、今年はちょっと感じ方がちがいます。もしかして、というのもありますし、他の人はどう思うだろう? というのもあります。
いつもはアレルギーのお薬は眠くなるので少なめに飲んでいました。今年はそんなことを言っていられないので、ちゃんと飲もうと思います。本当なら花粉の飛散前から飲み始めるべきでしたが、忘れていました。▲
新型コロナウイルスが話題になってから、1年ほど過ぎました。短期間で世界が一変するような出来事を体験したことがなかったので、今でもなんだか夢を見ているような気持ちです。
徒然草(つれづれぐさ)の中で人間にとって必要なものとして、衣食住に加えて医療(薬)があげられています。地域の中核的な病院が入院制限を行っていた間は心細さを感じました。面会もできない状態でしたので、入院されている方、そのご家族や親しい人たち、病院で働いている方方は、もっとつらく大変な思いをされたと思います。
長い目でみれば落ち着いていくだろうとは思いますが、短期的にはまだ何が起きるか分かりません。ワクチンが広く行き渡るまで、もう少しの辛抱(時間稼ぎ)が必要のように思います。▲
35年前の今日は、ディスクシステムの「ゼルダの伝説」が発売された日なのだそうです。3Dのゲームにはじめて触れたのが『時のオカリナ』(NINTENDO64)でした。美しい3Dの世界に驚きを感じつつも、3D酔いで気分が悪くなったり、細い足場をまっすぐ進めなくて何度も落ちたりと、最初の出会いは散々なものでした。3Dの表示や操作に慣れていくにつれて、ハイラルの世界に没入していくのを感じました。
“ゼルダのアタリマエ”を見直した『ブレス オブ ザ ワイルド』(Switch、WiiU)ほどでなくても、「ゼルダの伝説」は常に新しい要素を大胆に取り入れている印象があります。『時のオカリナ』から約1年半後に発売された『ムジュラの仮面』(NINTENDO64)の3日間システム、HDリマスターが発表された『スカイウォードソード』(Wii)はWiiリモコンプラスとヌンチャクを振ることによって剣を振る・盾を構える……という風に、作品ごとに新しい試みがされています。
『スカイウォードソード』に関しては、振って行う操作は誤操作しやすくないかとか疲れたりしないかとか、発売前は期待よりも不安の方が大きかった記憶があります。実際はWiiリモコンプラスを使ったチャンバラは、すごく楽しかったです(ちなみにSwitch版はボタン操作にも対応しているそうです)。
35年たった今でもブランドを維持できているのは、完成度の高さはもちろんですけれども、現状に甘んじることなく、新しいことにチャレンジし続ける姿勢だと思います。その中からエポックメーキングな作品も生まれてくるのでしょうね。▲
以前ほどゲームで長い時間遊ぶことはなくなりました。ジャンルでいえばRPGに顕著で、根気がなくなったのか分かりませんけれども、途中でめんどくさくなってきて辞めてしまうことが多いです。未クリアのゲームが増えていくばかりなので、ゲームソフトを買うことも減りました。ですから『ブレス オブ ザ ワイルド』で時間を忘れるほど熱中した時は、ゲームに対する情熱がまだ残っていたんだと自分ながら驚きました。
少しテレビゲームとは疎遠になった今でも遊び続けているのは、『ピクロス』シリーズです。短い時間でサクッと楽しめますし、1年くらいあければ、ほぼ忘れているので繰り返し楽しめますしね。Switchで新作がリリースされ続けていますし、3DSがあればDSや3DS版だけでなく、バーチャルコンソールでゲームボーイやスーパーファミコン版のピクロスをプレイすることができます。▲
5年ほど前までオンラインゲームの『ドラゴンクエストX』をプレイしていました。サービス開始の時から遊んでいたので、3年半近くプレイしたことになるでしょうか。
MMO自体が初めてでしたので、オフラインモードを終えオンラインに接続した時に、たくさんのプレイヤーキャラクター(PC)であふれているのを見て感激しました。初めてゲーム内で話しかけられたときに、キーボードを打つ手が震えたのを覚えています。
最初のうちはストーリー、システム、そしてオンラインの要素など、新鮮な気持ちで遊んでいましたが、だんだん飽きてきてもズルズル続けてしまいました。今までゲーム内で費やした時間のことを考えると、もったいないような気がして辞められなかったのですね。要は損切りできなかったのだと思います。
惰性で続けていたとは言え、オンラインの要素、ゲーム内の人間関係の魅力は、オフラインのゲームが物足りなく感じるほどありました。その呪縛を解き放ってくれたのが『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』でした。▲
居間のテレビに接続して利用しているスティック型PCは、一部の動画がスムーズに再生できないなど不便を感じていました。買い替えるなら小型のPCを組んで……と最初は考えていましたが、ゲームなど重い作業をやるわけではないので、そこまで必要ないと感じていました。ここで心に思い浮かんだのは、Raspberry Piでした。
すでに自室でmpdを使って音楽再生に利用していますので、使い勝手や安定性の良さを実感していました。自室ではmpdクライアントを使い、聴きたい曲を選択していますが、居間ではアルバム単位でシャッフル再生させたいと思っています。Wineを使えばfoobar2000がLinux上で動くという話もありますので、試してみたいと思います。▲
音楽をPCで再生して聴くようになってから、CDに付属している冊子を読むという習慣がなくなってしまいました。解説(ライナーノーツ)は曲や演奏者についての情報が簡潔にまとまっていて便利ですが、そのためにCDを探すのが面倒になってしまいました。
その曲についての知識があると、より理解が深まるというか、より多面的な聴き方ができるというか、単純に言うと聴くのがより楽しくなります(印象が知識に引きずられるとも言えますが)。歌の入っている曲ならば、その言葉が理解できればもっと楽しくなるでしょうし、音楽のできる方であれば、楽譜を見ながら聴けばきっと新しい発見があるでしょうね。自分はどちらもできないので、いつか勉強したいと思っていますが……。
ライナーノーツに書かれている内容ならばネットで調べればよいとも思いますが、信頼性という点で一抹の不安があります。もちろんライナーノーツに書かれていることが正しいとは限りません。それでも執筆者がはっきりしていて、内容をチェックする人がいて、また紙という形で残るという安心感のようなものがあります。▲
テレビに接続して利用しているスティックPCがそろそろ5年になろうとしています。たまにテレビで動画を見たりブラウジングしたりするのに利用するくらいで、ほぼ音楽再生がメインになっています。USB DAC→アンプに接続して、アンプのスイッチをオンにするだけで、いつでも音楽を聴ける状態にしてあります。
再生はfoobar2000というソフトを使って、アルバム単位でシャッフル再生するようにしています。曲を選択して聴くよりも、自分からはあまり聴こうとは思わない曲も自動再生されますから、好きな曲が増えていく楽しみがあります。日をおいて何度か聴いているうちに、こんないい曲だったんだと宝物を見つけたようなうれしい発見があります。
知ることは(たぶん)好きになることなのだと思います。▲
忘れた頃にやって来るのは天災ばかりではなく、病気とか死もいつ来るか分かりません。そうしたものに備えることは、どう生きるかということでもあると思います。いつ何が起こるのか分かりませんから、本当に大事だと思うことは、先延ばしせずにやることが肝要だと思います。
“禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し”と言います。またカール・オルフの《カルミナ・ブラーナ》には次のような歌詞があります。
まったく呪わしいこの人生は、 / 意地悪な目つきをすると思えば、 / 今度はまた愛想よくして見せる。 / ふざけた気持ちで、 / ときには窮乏を、 / ときには権力を、 / 氷のように融き消して見せる。(呉茂一訳)
“たまたま”うれしい出来事が続くこともあるでしょうし、“たまたま”悪い出来事が続くこともあると思います。それでツキがまわってきたなんて思わない方がいいし、逆に運の悪さをいくら嘆いてみてもしょうがないような気がします。くるくる回転する運命の輪から抜け出せるのかは分からないですけれども、そうしたものに囚(とら)われないで、やるべきことをやる意志の強さを養いたいです。▲
昨日の地震は揺れはそれほどでもなかったのですが、長く続いたので東日本大震災のことを思い出して、少し恐怖心を抱きました。その時間は録画しておいた『名探偵ポワロ』を見ていました。突然部屋が真っ暗になり「ブレーカーが落ちたのかな」と思っている最中に揺れ出しました。
311の後にLEDランタンや防災用のラジオを用意したり、各部屋にLEDライトを置いたりしましたが、今回の停電でも役立ちました。スマホで通信はできましたので、ニュースサイトをチェックしたり、アプリでラジオを聴いたりすることもできました(あと意外と便利だったのが、ライトの機能です)。ただ一部地域で通信障害が発生したそうですから、通信できないことを想定して準備した方がよさそうです。
このほかにも寒さ対策とか、用意しておいたけれどもバッテリー切れで使えなかったワンセグテレビのことなど、いろいろ見直すきっかけになりました。2011年3月11日からもうすぐ10年たとうとしています。「天災は忘れた頃にやって来る」は本当にその通りだと思います。日頃から備えたいと思います。▲
いま使っているノートパソコンはもうすぐ5年になります。メモリの増設、SSDへの換装、LCDを交換したこともあり、今のところ性能的には不満を感じていません。ただ5年間毎日のように使っているというのもあり、ところどころガタがきていて、やっぱり買い替えないとならないかなぁ……と悩んでいるところです。
あまり使わなくなったデスクトップパソコンを片付けようと思っているので、少し重い作業もノートパソコンでこなせるくらいの機種がいいなと思っています。ただそういう機種はそれなりのお値段になるんですよね。
長く使え、また使用頻度の高いものならば、高くてもいいものを買った方が後々安くつきますよね。音楽を聴くのが趣味なので、(入門機レベルの機種ですが)クラシック音楽の再生に定評のあるオーディオ機器を所有しています。購入した当時は高い買い物をしっちゃったな、他のものを買った方がよかったかなと後悔しました。それから10年以上たったいまは、安い買い物だったな、もっといいものを買っても良かったかもとさえ思います。人生を豊かにして、自他の幸福感を増すようなお金の使い方をしたいですね。▲
無線LANの規格が802.11bしかなかったときに、中古のノートパソコンを買って、無線LANの親機として利用したことがあります。なぜそんなことをしたかといえば、お金がなかったというのはもちろんですが、何より面白そうと感じたからでした。そのとき利用したOSはVine Linuxという日本で生まれたディストリビューションで、初心者にも使いやすかった記憶があります。Linux=難しい・扱いづらいという考えを打ち破ってくれました。
トライ・アンド・エラー(辞書を引くとトライアル・アンド・エラー=trial and errorが正しいようです)の連続でしたけれども、その分学ぶことも多かったですし、うまく行ったときの喜びも大きかったです。▲
新型感染症のまん延で、医療崩壊が発生していると言われています。感染症に対応した病床や、治療や看護等にあたる医療従事者の人数が、入院が必要な人に対して追いついていないというのも要因と言われています。
病床数を増やせばいいんじゃないかという話もありますが、テレビで治療の様子を見ていますと、そう簡単に増やせるものではないと感じてしまいます。とくに治療や看護にあたる方々の肉体的・精神的な負担は大変なものがあると思います。▲
技術の発達によって、以前には空想でしかなかったことが現実のものになっています。家で仕事をするとかオンラインで学校の授業を受けるとか、以前にもあったのでしょうが、広く一般的になったのは、情報処理関連の発展も大きかったと思います。
周りを見渡せば、いろいろ便利なもので満ちています。でも便利すぎるのも効き過ぎのエアコンのように、なんとなく居心地の悪さを感じてしまいます。工夫の余地がある、多少不便に感じるくらいがちょうどいいように思います。▲
言葉を聞く・読むのがしんどく感じることがあります。そんな時は、音楽が大きな助けになってくれます。以前いろいろ悩み事が重なって、心身ともに疲弊しきっていた時期がありました。本を読むのさえ苦痛に感じるほど、悶々(もんもん)とした日々を過ごしていた時に何気なく手にしたのが、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』(フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)でした。
それまではベートーヴェンはあまり聴いてこなかったのですが、その演奏は毎日のように聞いては慰められていました。音楽の持つ力、偉大さをはじめて知った曲であり演奏でした。音楽の感情に及ぼす力は、時に言葉以上のものがあると感じます。▲
雨の日で見えなくても、太陽が毎日変わらず昇るように、何が起きてもやるべきことはやるようにしないといけないなと思います。普段からこういう習慣をつけておかないと、いざというときに何もできなくなってしまうような気がします。
自分にとってやるべきこと、本当に大事なことはなんだろう? と考えるときに、あと1年しか生きられないとしたら何をするだろう? と想像することがあります。同時にあと1年と告げられた時に、果たして自分の考える“大事なこと”はできるだろうか? とも思います。
考えてみれば、人生ああしておけばよかったと後悔ばかりです。別れは突然来るし、もっと優しくしておけばよかったと悔やむことばかりです。
どこへ行ったろう。いったいどこでまたあうのだろう。僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)
だから何もないうちから、後悔のないように生きることが大事なのだと思います。自分は感情や欲望に反して生きることが難しい人間と思っていますから、本当に大事だと思うことだけは続けていきたいと思います。▲
健康、お金、人間関係に関することが、多くの人に共通する悩みというのを聞いたことがあります。病気である人、お金のない人、人間関係に問題を起こせば悩みを持つのはもちろんです。(いまは)健康である人、お金に余裕のある人、人間関係に恵まれている人でも、いつかは失われるのではないかという悩みに苛(さいな)まれるのも、不思議ではないですよね。
ペット(最近ではコンパニオンアニマルと言うそうですが)と一緒に過ごしていると、多くの喜びが与えられます。そうした幸福な時間の中にも、ふとすると、いつかやってくる別れの時が思われ、暗く悲しい顔になっていることがあります。すぐに愛らしい顔を見て笑顔に戻るのですが、でもその感情そのものが消えることはありません。
常に変化し続ける世界の出来事に捉えられていれば、心も落ち着きを失います。幸福とされる出来事も、永遠に続くわけではないのですから、信じるに値する出来事とも思えません。この先に待っているのは厭世(えんせい)主義の世界ですよね。実際、この厭世観にとらわれた時期がありました(いまも抜けきったとは言えませんが)。▲
つくづく自分は周囲の出来事に影響を受けやすいと感じます。そしてその影響が、態度とか言葉の端々に出てしまいがちです。駄駄(だだ)をこねる子供のようですね。独りでいるときも心はずっとソワソワして、やるべきことも手に付かなくなってしまいます。
生きている以上、様々な出来事――嬉(うれ)しいこと悲しいことに遭遇するのは避けられません。ただその都度、(一時的にはしょうがないですけれども)心が乱れて日常生活にも影響が及ぶのは、なるべく減らしていきたいですね。▲
言葉と行い、どちらの方が人を動かす力が強いかといえば、後者の方なのかなと感じます。「逃げろ!」と叫びながら、自ら率先して避難することが大事と言われます。いくら言葉で説いても、当の本人が言葉に沿わない行いをすれば、従わない人が出てきても不思議ではありません。言葉が威力を発揮するのは、行為と結びついたときだと思います。
水泳が趣味で続けていますが、教えてもらったことや気がついたことを練習日誌という形で残してきました。練習の内容を言葉にすることによってより記憶に残りやすくなりますし、次回の練習の前に読み返しますと、その動きを再現しやすいような気がします。
練習日誌は基本的に人に見せるものではありませんから、自分しか理解不能な文章でも構いませんので気楽なものです。しかしこのような零細サイトでも、載せる文章は不安と戸惑いを感じながら書いています。いつもサイト更新が続かない理由は、モチベーションがこの不安と戸惑いの感情に負けるのも一つの要因だと思います(最大の原因は飽きっぽさですが)▲
以前なにかの番組で、お坊さんが「心の乱れはスリッパの乱れ」とおっしゃっていた記憶があります。「善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す」(『ルカによる福音書』6章45節)を想起させる言葉です。心の乱れがスリッパの乱れを引き起こすということでありますし、またスリッパの乱れが心の乱れを引き起こすということでもあるのかなと思います。
善人は良い心の~に続く言葉は、「心からあふれ出ることを、口が語るものである」となっています。心の状態が語る言葉に反映するのはもちろん、人から発せられる言葉によって心の状態が変わるというのは日常的に体験することです。日常の細々とした言行に、それこそスリッパのそろえ方の中にも、その人が現れ、そしてそれに接する人の心にも良かれ悪かれ影響を及ぼすと言えるのかもしれません▲
よい生活習慣を送るために、“No pains, no gains”とか“良薬口に苦し”的な努力は、意志薄弱との誹(そし)りを受けようとも自分には無理っぽいなぁ……と感じます。自分にあった漢方薬がおいしく感じられることがあるように、健康によいことは本来心地よいことではないのかという気もします。
心の状態によって食事の味が変わるということは、よく体験されることだと思います。遠足の時に青空の下でほおばるおにぎりは格別のものがあります。誰かと仲たがいをして心が乱れている時は、どんな豪華な食事でも砂を噛(か)むような味気ないものになってしまいます。自分の経験ですと、心が安定しないときは味の濃いもの、こってりしたものを食べたくなります。また肉体的な空腹感は満たされているのに、さらにスナック菓子や清涼飲料水に手が伸びることもしばしばです。
心を整えることができれば、自然に健康的な生活を送るための一つの助けになるのではないかと思います。▲
心を構成する要素として、知情意(知性・感情・意志)の3つに分ける考え方があります。この分け方に従いますと、自分は感情(欲望)に振り回されがちな人間なのかなと思います。たとえば減量一つ取っても、一時的には理性や意志の働きで食べ物に気をつけたり、食欲を抑えたりすることができます。しかし、食べたいものを食べたいだけ食べたい! という欲求は残ったままです。そして欲求不満が限界に達して、「もう、やめやめ」と元の生活に逆戻りです。こうして体重が元に戻りますと、以前よりも痩せにくい体になってしまったということが往々にしてあります。
食べ物の好みとか食べる量は、そのときの心と体の状態にある程度関係があるのかなと感じます。精神的なストレスはもちろん、過労や睡眠不足などの身体的ストレスがあるときは、清涼飲料水やスナック菓子などを食べたくなります。見方を変えれば、心と体の状態を整えるようにしたら、欲する食べ物とその量も自然に整うのではないかという気もしますが、どうでしょうね。▲
この時代に初めてネットに触れていたらどうなっていただろう? と思うことがあります。今の時代、良くも悪くもネット上で話題になるのは過激な意見の方が多い印象があります。何の耐性もない状態でこうした情報に接し続けていたら、自分の心もそうしたものに染まっていったかもしれません。
ネット上の情報を十分に吟味することなしに受け入れてしまうのは、自分がそうあってほしいと思うことについては、特にこの傾向が大きいように感じます。ネットだけで完結していた時代、ネットと現実の世界がいまほど深く結びついていなかった時代に、いろいろ失敗して恥をかいたというのは、ある意味幸運だったのかなとも思います。
ネットは便利なようであって、扱うのは難しいと最近つくづく感じます。得た情報の真偽を確かめるのは、仮に調べる手段があるにしても手間と時間のかかることです。そうしている間にも新しい情報が次から次へと流れてくる……。悩ましい状況です。▲